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​山本三和人牧師

MESSAGE

山本三和人牧師によるショートメッセージをご紹介します。

聖書とは何であるか

聖書の読み方

『聖書』は教会と信仰生活の唯一の規範、正典であると言っても、聖書への接し方と聖書の読み方の違いによって似ても似つかない信仰の姿勢が生まれます。私たちはどのように聖書に接しているのでしょうか。イエスの言葉に重点をおいて聖書に接する人の多くは、数々の教訓を重んじその教訓に沿った宗教生活の姿勢を整えようとします。その結果どうしても禁欲主義者や律法主義者たちのような宗教生活を送るようになります。

 

このような聖書の読み方からは、宗教生活は生まれても信仰生活は確立されません。キリストの行為を重視して聖書を読む人は、キリストの行為に光を当ててキリストの教訓に接します。

 

「父よ 彼らをお許しください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」と祈るイエスの行為は、私たちを人間の行為を越えた者に導き、キリストが私たちの見習うべきお手本以上のお方であることを悟らせ、キリストを信じ礼拝する気持ちに変えます。
 


独善と偽善の誕生

このような変化は「マタイ」「マルコ」「ルカ」などの共観福音書を重視するか、それとも「ヨハネによる福音書」やパウロの書簡を重視するかによっても生じます。共観福音書を重視してその光のもとに第四福音書やパウロ書簡を読む場合と逆にパウロのキリスト論を重視し、その光で共観福音書を読む場合とは全く違った宗教生活または信仰生活が生まれます。

 

共観福音書の方を好んでパウロ書簡をあまり好まない人は理屈よりも教訓が好きな人と思われます。そのような人はどちらかというとキリストを尊敬しお手本として、キリストに少しでも近い生き方を整えます。その結果、宗教生活は生まれるが信仰生活は姿を消し、徐々に律法主義や禁欲主義の傾向を帯びてきてやがて共存の道からも外れます。

 

贖いの行為よりも教訓を重んじる人は、選民意識や選別意識が強くなって異邦人や異教徒は勿論のこと、一般世俗の人々との交わりをも避けたい気持ちに誘われます。信仰を守るということが偏見と差別の理由になってしまうのです。

 

日夜聖書の言葉に学び聖書の言葉に従って宗教生活を営んでいたパリサイ人に「あなたがたはわざわいである。外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである」(マタイによる福音書23:27-28)とイエスが厳しい口調で言われたのは、私たちも聖書の読み方を誤るとどんなに聖書を重んじても否、重んじれば重んじるほど独善と偽善の傾向を強めることになることを教えています。
 


律法はキリストのあかし

ではどのように聖書を読めばその独善と偽善を免れることができるのか。問いは答えによって規制されます。HowはWhatによって決定されます。聖書をどう読むかは聖書が何であるかによって決まるのです。

 

「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は私についてあかしをするものである」「この聖書」とは旧約聖書です。このキリストのお言葉によると聖書はキリストの証であります。

 

本来キリストの証として神が与えられた律法を自分たちの道徳性や宗教心に訴える教訓として重んじることで実は律法そのものを失っていたユダヤ教徒を見てイエスは「あなたがたは神がつかわされた者を信じないから、神の言はあなたがたの内にとどまっていない」と言われたのです。

 

パウロは「しかし今や、神の義が律法とは別にしかも律法と預言者とによってあかしされて現された」(ローマ人への手紙3:21)と言いました。パウロにとっても律法はキリストの証でありました。パウロの信仰生活の中で律法がどのようにしてキリストの証としての働きを示し、彼をキリストに導いたのでしょうか。

 

非常にはっきりしていることは律法がパウロに罪の意識を与えたことです。「律法によらなければわたしは罪を知らなかった」と彼は言います。「律法がなかったら罪は死んでいるのである」わたしはかつて律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで罪は生き返りわたしは死んだ」とも述べています。

 

パウロは律法によって示された罪と死の現実の中から「自分はなんというみじめな人間なのだろう。だれがわたしをこの死の体から救ってくれるだろう」と救いを求めて声を上げました。そしてその身と心とキリストにゆだねました。。

啓示の道

イエスは主である

新約聖書の中に『ヤコブの手紙』というのがある。このヤコブが誰であるかは分かっていない。従ってこの手紙は誰が書いたのか不明であるが、この著者は自分を紹介するに当たって「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブ」(ヤコブ1:1)と述べている。

このヤコブの手紙をパウロの手紙と比較して、パウロの手紙はいかにも福音主義的であるのに対し、ヤコブの手紙は律法主義的であると思ったり主張したりする人々がいる。また、パウロの手紙がイエス・キリストにおける神の特殊啓示を重んじる立場で記されているのに対し、ヤコブの手紙は人間の行いを重視する自然神学の立場で書かれていると思う人もいるし、主張する人々もいる。

宗教改革者の中にさえも、パウロのガラテヤ書を重んじる一方で、ヤコブの手紙を「藁の書」などと言って、あまりこれを重んじていないのではないかという印象を与えるような人もいた。しかし、聖書の戒めをキリストの証として読む場合においては、その聖書の言葉を通して私たちの真実の姿を見せる鏡に例えるということで、私たちをイエス・キリストのもとに導く証の御言葉となる。

そういう点においてはヤコブの手紙とパウロ書簡の間に著しい違いはあに。また、自分を主イエスの僕として位置づけている点においてもヤコブの手紙とローマ書の著者であるパウロとの間に著しい違いはない。すなわち、ヤコブの手紙の著者は「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブ」と述べているが、パウロは「キリストイエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」(ロマ1:1)と少し違うだけである。


また、イエスを主と告白し、自分を主イエスの僕の位置に位置付けていると言う点では、両者の間には違いはない。
「イエスは主である」という告白は、新約聖書の中のいちばん古い形式の信仰告白であると述べたのはザッセという神学者である。そして、そのことによってキリスト教がユダヤ教ともギリシャの宗教とも異なることを明らかにしている。

原始教団の礼拝と宣教において、キリスト教の信仰告白を最も端的にあらわす称号は「主(キュリオス)」である。


また、パウロがイエスの人格をあらわすために、中心的に用いたのがキリストよりも「主」であるということができる。神学者のなかには「ホ・キュリオス」という語がギリシャ語であるということ、またその語が共観福音書のマタイ、マルコ両福音書には使われていないで、ギリシャ世界に向かって書かれたと思われるルカによる福音書にだけ12回も使われているということなどで、この信仰告白は、福音のギリシャ化を意味すると主張する学者もいる。


例えば新約学者のブッセは、アラム語が使われていた時代にはマルとかマランという語はラビという語と全く同じ意味に使われ、ごく一般的な尊敬を意味する言葉に過ぎなかったという。イエスをホ・キュリオスと呼ぶようになったのは明らかに聖書のギリシャ語訳セブテュアギンタ(70人訳聖書)の影響によるもので、本来は一人の人間であったはずのイエスをギリシャ化する過程のなかで、神に祭り上げてしまったというのがブッセの主張である。


これに対して神学者ザッセは、パウロがユダヤ教徒の論敵に対して示したアラム語の祈りの言葉「マラナ・タ」(主よ来てください)(コリント1 16:22)は、新約聖書の中の最古の祈祷形式であり、これはブッセの主張を覆してあまりある言葉であると述べている。ザッセの主張によると、聖書がギリシャ語に翻訳されていなかったj時代、すでにイエスは主の名において信じられ告白されていたと言う。

キュリオス(主)という言葉は、ヘレニズムの宗教においては神々の呼称であり、皇帝に対する尊称であり、また原始教団の人々が教会の長老たちを呼ぶとき、あるいは奴隷が自分の主人を呼ぶとき、妻が夫を呼ぶとき、そういうときには単なる尊敬以上の意味で使われていたことは否定できない。


初代教会が最初の合同の祈りにおいて「すべての人の心をご存知である主よ」(使徒1:24)と呼びかけたり、あるいは新約最古の祈祷形式「マラナ・タ(主よ、来てください)」という祈りの「主」とは、単に尊敬を意味する言葉ではなく、信仰を告白するものであった。イエスを神と信じる信仰告白以外の何者でもなかったのである。

パウロが
「聖書によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない」(コリント1 12:3)と述べているのは、「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が『イエスは主である』と公に宣べて、父である神をたたえる」(フィリピ2:10-11)ためである。

それだけではない。イエスはあらゆる時代の人々の主でもある。教会と世界の主というだけでなく、あらゆる時代に生きた人々(その人が認めようが認めまいが)の主である。そのような意味において「主」と告白したのである。


神の主権の一元性とあらゆる時代の人々との同時代性を告白することが、聖霊の導きなくてできることではないというのがパウロの信仰である。

イエスが主であるという告白は、ただ一人の主であるという告白である。そして、あらゆる時代の人々の主であるということである。
「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」(ヨハネ8:58)。このイエスご自身の言葉からも明らかなように、昔いまし、今いまし、将来もいまし給う方こそ私たちの主であるというのが、主と告白することの意味である。


さらに、イエスは私たちの主であるという告白は、選びの主体が主イエスであるということを同時に告白することである。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)とイエスは言われる。このことについての理解がないと、私たちは気づかないうちに自分を人神の座に押し上げてしまうことになる。それは、私たち人間が人や物を選ぶ場合を考えてみれば分かる。

その選び方は、先ず自分の好みが先行し、それから価値判断を加えて決定する。歴史の中の人物の中からある特定の人物を選び、その人物を愛と尊敬の、場合によっては信仰の対象にするためには、それぞれの人物が残した言葉や行為を自分の好みによったり、あるいは価値判断を加えたりして、尊敬できる人物を選ぶのではないだろうか。

このようにすることも一種の主礼拝の形式であると考え、イエスを主と告白する信仰の原型であると言う人もある。


しかしこのような思いや説明には主礼拝とは似ても似つかない人神礼拝に走る危険性が含まれている。歴史の中の多くの人物の中から一人の人物を選ぶ、そしてその人物を重んじたり、尊敬したりすると言う行為は、いつの間にか自分の選びの確かさを誇る気持ちが生まれ、そしてその確かさについて自慢したくなる気持ちに導かれるのである。


「もし彼(アブラハム)が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた』とあります」(ローマ人への手紙4:2-3)とパウロは言う。アブラハムは信仰によって義とされたのであって、決して良き行いによって義とされたのではない。


私たちが、もし歴史の中の無数の人物の中の一人としてイエス・キリストを選び、それに私たちの価値判断を加えて信じるときめたとしたなら、それは一つの行為であり決断であり、それに対する誇りが人神思想の大木を成長させるのに時間はかからない。律法学者やファリサイ人たちが自ら清め分かたれた者と思うことで世俗的に明け暮れていたのを見れば、そのことはよく分かる。


選びの主体はあくまでも神であり、イエス・キリストであって私たちではないということである。この認識を誤ると、神の法廷の被告席にある裁かれる者から裁き人になって、世の人々は汚れているとの批判と悪口に明け暮れるようなことになってしまうのである。(1994.1.2)

信仰

私たちのキリストの主たることを告白する力は聖霊である。私たちに信仰を与えるのは聖霊である。信仰とは決して人間の心の作用でも、強い思いでもない。人間の意志の働きではない。聖書によれば、それはあくまでも聖霊の業である。自分の意志の力で神を信じるというのではなく、聖霊に導かれて神を信じせしめられるようになるのが信仰である。

心のやすらぎ

​1992年11月発行「ロゴス草紙」から

​わたしはどこへ行って、あなたのみ魂を離れましょうか。            わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。            わたしが天に昇っても、あなたはそこにおられます。            わたしが、陰府(よみ)に床を設けても、あなたはそこにおられます。            わたしがあけぼのの翼をかって海の果てに住んでも、            あなたのみ手はそのところでわたしを導き、            あなたのみ手はわたしをささえられます。

​わたしたちはペテロのように人間の弱さから、主に背いてそこから逃げ出すことがあるかもしれません。しかし、わたしたちの逃亡の旅が地や海の果てまで、それどころかたとえ陰府の世界にまで続いたとしても、キリストは、いつもわたしたちの旅先にさきまわりして、大いなる愛のみ手を広げていてくださるのです。

それはもう何十年も前、わたしが洗礼を受けて間もない頃のことです。

ある有名な盲人伝道者が特別伝道集会の講壇に立ち、「お寺の鐘はGONEと鳴り、教会の鐘はCOME IN と鳴る」と、話しているのを聞いて、感心したり、反発を覚えたりしたことがあります。

つまり、その伝道者によれば、お寺の鐘のGONEという音色は、何もかもが行ってしまったことを伝える音であり、そこには、はかなさはあってもやすらぎがないというのです。


わたしは、「さすがにうまいことをいう」と、感心すると同時に、「でも、お寺の鐘のGONEは、聞きようによっては、人間のすべての不幸や悲しみがはるか彼方に行ってしまったことを伝える音にも聞こえるし、もしその音をGO ONと聞きとることができれば、それはわたしたちにたゆみない前進を促す音にも聞こえるのではないだろうか」と、ちょっと反発めいたことも感じていました。

歳月が流れて、わたしも今では70の坂を越えました。しかし、今でもわたしはこれと同じようなこと、つまりイエス・キリストの”COME”と”GO”について考えさせられています。


すでに良く知られているように、ご自分が伝道を始められた頃のイエスは、出会う人々に向かって必ず”COME”と語りかけておりましたが、復活されてからは逆に”GO”といわれるようになりました。

ヨハネによる福音書を読みますと、復活されたキリストに出会い、喜びのあまり、「ラボ二(先生)」と叫んで近づいてきたマリアに対してキリストは、「わたしに触ってはいけない」と、言っておられます。

また、マタイによる福音書にも、マグダラのマリアと、もうひとりのマリアは「復活のキリストに近づき、そのみ足をいだいて拝した」と、ありますが、そのときキリストが彼女らに言われたことは、「恐れることはない。行って、兄弟たちにガリラヤへ行け、そこでわたしに会えるであろうと告げなさい」と、いうことばでした。

これらのことを考えますと、わたしたちは人間イエスのやさしい、”COME”と、神人キリストの厳しい”GO”の間に立たされていることが分かります。そしてわたしたちはさまざまな思いわずらいを抱いて毎日の生活を営むことで疲れきっていますから、”GO”という厳しいことばよりも”COME”というやさしいことばの方に強く引きつけられるのです。

しかし、ここで見逃してはいけないことは、復活のキリストの”GO”は、人間イエスの”COME”ということばと同じように、暖かい、あふれるほどの思いやりの心から湧き出たものである、ということです。


処刑前夜、愛する弟子たちに背かれ、ただひとり孤独な死を遂げようと心を定めて、イエスは弟子たちに言われました。

今夜、あなたがたは、わたしにつまづくであろう『わたしは羊飼いを打つ、そして、羊の群れは散らされるであろう』と書いてあるからである。しかし、わたしはよみがえってから、あなたがたよりさきにガリラヤへ行くであろう。

これは戦いに敗れた武将が、生き残りの部下を連れて、秘かに都落ちをする決意を述べたことばなどではありません。背教者を追い、裏切者を求めて、ガリラヤはおろか地の果てまでも行く、という並々ならぬ決意を示すことばであり、逃亡者の先回りをして、彼らに対する愛と信頼を証(あかし)しようという固い決意を述べたことばでもあります。

実際、このようなみことばに触れ、人がつまづき、裏切り、逃亡しても、キリストがその人をみすてることはないのだ、ということは、ゲッセマネの園での出来事を思い起こしてもよく分かります。一諸に祈るように求められていた弟子たちが、不覚にも眠りこんでしまった姿を見たイエスは、そのことを責めるどころかむしろ、「あなたがたの心は熱しているが、肉体が弱いのです」という思いやりのあることばを投げかけているのです。

イエスは、人間の弱さというものを底のそこまで見抜いていました。「たとえほかの者がつまづいても、わたしはつまづきません。わたしは牢獄でも死でも、よろこんでお供をします」と、激しい口調で言い放ったペテロでさえ、この数時間後には主従関係を打ち消して去ってゆくことを、イエスははっきりと予見し、その予見と深い悲しみの渕に立ちながらなおかつ、「しかし、わたしは、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」と言われたのです。

このことを心に留めて、私たちがそれぞれの耳を傾けるとき、復活のキリストの言われた「行け」ということばは、冷たいどころかむしろ暖かい思いやりの心から語られているのだということが分かります。つまりこのことばのなかには、愛に値しないものにすら与えられる愛の本質が啓示されているのであり、このみことばが持つ「愛の深さ」だけが、わたしたちの心を閉ざす不安の黒雲をあとかたもなく晴らしてくれる手段なのです。詩篇の記者は、こうして与えられる魂のやすらぎを次のようにうたっています。

ほんとうの道

ほんとうの道は、一本の綱の上に通じている。その綱は空中に張られているのではなく、地面のすぐ上に張られている。渡って歩くためのものであるよりも、人をつまずかせるためのものであるらしい。『実存と人生』フランツ・カフカ

これはフランツ・カフカがその著『実存と人生』の巻頭で述べていることばです。彼はユダヤ教徒であり、シオニストでありましたから、このことばをキリストについての直接的な証言とみなすことはできません。


しかし彼は、チェコスロバキアの市民権を持ち、そこに住んで西欧文化の母胎としてのキリストの福音に触れ、その影響を受けたと思われますから、このことばを、キリストについての間接的な証言、すなわちカフカの文学的な神奉仕のことばと受けとることは、必ずしも見当違いではありません。わたしなどはこのことばを初めて読んだときから今日まで、これはカフカの文学的証言であると思い続けてきました。

ご存知のようにキリストは、自分のことを「道」であると主張しました。しかし、どういう訳かこの「道」は当時の人々の目には隠されていて、これを見出した人は、彼をとりまく群衆の中にも、彼と起居飲食を共にした弟子たちの中にも、、またエルサレムの聖域で神に仕えていた宗教家たちの中にもいませんでした。


ですからエルサレムの都への途上、目の前に静かに横たわるエルサレムの姿が見えてくると、イエスは泣きながら言いました。

 

「もし、お前もこの日平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・しかしそれはいまおまえの目に隠されている」

さらに、マタイによる福音書に目を向けますと、彼が一層悲しげに語ったことばが記されています。
 

「ああエルサレム、エルサレム、・・・・・・ちょうどめんどりが翼の下にそのひなを集めるように
わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じなかった」

 「おまえの子らを集めようとしたが、おまえたちは応じなかった」ということばは、「子供たちを集めようとしたが、その上にある者が反対した」というように受けとれます。つまり、ここでのイエスの語りかけの相手は、「おまえ」ではなく「おまえたち」-。つまりエルサレムの町ではなく、町の指導者たちだったようです。市民の宗教的な教育と指導にあたっていた祭司だとか、教法師だとか律法学者たちであった、と思われます。

ですから、キリストにある「平和の道」は、エルサレムの一般市民はおろか、宗教の専門家たちの目にさえも隠されていたことが分かります。イエスが、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(キリスト)には枕するところがない」と言ったのは「平和の道」としてのイエスの真相を知る人が一人もいないということに対する、人間イエスの孤独感を訴えるためであったと思います。

では、神の都エルサレムの指導者たちの目に「道」が隠されていたのはなぜでしょう。彼らがその「道」を渡って歩こうとはしないで、それにつまづき、それを危険視し、それを排除しょうとしたのは、どうしてなのでしょう。

それはおそらく、マルチン・ブーバーのいう神蝕の現象が起きていたからです。彼らの抱いていたとてつもない自尊心が、自分の落としたどす黒い影の中に「道」をかげらせて見えなくしていたのです。彼らは常に聖域に「道」を求め、雲の彼方、山の向こうに神を探して、その目をいつも「山辺に向けて」いましたから、地面すれすれに張られた綱の上に通じる道などは、彼らの目に入りませんでした。

それだけでなく、足もとの綱に足をとられたりしたために、それを危険視し、邪魔扱いにして排除しようとしたのです。実際、馬小屋のような不潔な場所で生まれたものを神とあがめたり、ナザレのような俗域と境を接する田舎で育ったものを救世主として迎えられることは、彼らの自尊心をはなはだしく傷つけることでだりありました。ですから彼らは、「ナザレからなんの良いものが出ようか」といって、キリストをしりぞけたのです。

預言者イザヤはすでにこのことを予見して次のように述べました。
「彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼には、われわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で病を知っていた」

さて、二千年の歳月を重ねて、今日の教会はどうでしょうか。かえりみて、イエスのみ心を悲しませるようなことはなにひとつ行われていない、と言い切ることができるでしょう。


悲しいことではありますが、わたしたち人間は、信徒も含めて、二千年前とあまり変わってはおりません。高いものを見ると尊敬し、あこがれたり、へつらったりしますが、低いものに接すると哀れんだり、さげすんだり、時には邪魔者扱いにもしかねません。人間はいまでも高いところに道を求め、足許の道には目もくれません。ですから、足許にある「ほんとうの道」は、いまでもわたしたちの目に隠されているのです。

ドストエフスキーが書いた『カラマゾフの兄弟』の中の「物語り」にでてくる「大審問官」は、カトリック教会を擬人化したもの、といわれます。その「大審問官」は、乞食のように、みすぼらしい姿で近づいてくるキリストに対して、それがキリストであることを知りながら、「なにしに来た、ここはお前の来るところではない」と、怒鳴って追い返してしまいます。

これは小説の中の話ですが、このようなことは、現実の社会の中でも行われています。有名な画家のゴッホは、若い時、見習い宣教師として、ベルギーの炭鉱街で伝道活動をしていました。しかし、炭塵にまみれた彼の姿が、教会の「品位」を傷つけたということによって、彼は解任の処分を受けました。

わたしたちは「信仰」や「聖域」や「気品」などを守るという理由で、自分でも気がつかないまま、あの「大審問官」と同じ過ちを犯しているかもしれません。すなわち、聖別のうちに差別意識を抱き、無意識のうちに貧しく、低い人々と共にいるイエスを、教会の外に閉めだしているのではないかと恐れます。

「ほんとうの道」は、「山の向こう」でも「雲の彼方」でも、エルサレムの神殿の至誠所のようなところでもなく、「地面のすぐ上に」張られた、「見栄えのしない綱の上」に通じていることを、固く心に留めて、その道を踏み外さないように信仰の生活を営んでゆきたい、と思います。

忍耐と待望

クリスチャンの信仰生活を端的に表すとすれば、それは「待ち、望む」ことだと思います。

日常の生活のなかでの私たちは、いわば旅人であり、宿借り人でもありますから、絶えず「約束された日」を目指して歩き続けているわけですが、その精神的な支えとして必要な姿勢が「待つ」ことであり「望む」ことなのです。もし、これらのことを取り去ってしまいますと、それこそ私たちのクリスチャンとしての信仰生活が失われてしまう、といっても言い過ぎにはならないと思います。

フランツ・カフカが書いた作品の中に『代弁人』という短編があります。この作品のなかでカフカは、ある何者とも知れない人物を一人登場させ、その人物が、自分自身の代弁人を求めてあちらこちらをさまよい歩く状況を、彼独特の手法で描き出しています。


いったい、カフカがその所在を求めている代弁人とは誰のことなのでしょうか。これは非常に興味深いことではありますけれど、なお、この作品を読み続けますと本当に代弁人が必要なのは、実は私たち自身なのだ、ということが分かってきます。

つまり、この代弁人とさきほどの「待ち、望む」ということばと重ね合わせて考えてみますと、人間にとっての代弁人は神であり、私たちはその方にめぐり会える日を待っている、ということになります。そして神は、私たちがなんの思いわずらう必要のない「完全な代弁人」でありますから、私たちはそのことをまた、より一層強く待ち望むわけです。

ではどういうときに人間が代弁人を待ち望むかといいますと、それはある特殊な空間や状況の中でというより、私たちの現実の生活そのものの中により強く期待されている、ということができます。
ことさら例として持ち出すまでもなく、親と子の断絶あるいは亀裂ということばに象徴される今日の人間関係は、単に「話せば分かる」では埋められない深い溝に隔てられており、そこには恐ろしいほどの不安が実在しています。この状況の中では、もはや人間にはその深い溝を埋める手段はありません。もしあるとすれば、それは代弁人、つまり神の手に委ねることのほかは、私には考えることができないのです。

しかし私たちは、知識としてはそのように理解していても、ほんとうの弁護人を求めてあちらこちらと駆けずり廻った結果が思わしくないとき、自分の行為を中断し、自己保全の意味合いから精神的な自殺を試みることがあります。それは、「あきらめ」という意識表現です。

例えば、言うことを理解しないで非行に走る子どもに対して、親は自分のことばで語ることをしなくなり、「もう、いくらはなしをしても仕方がない。これが世の中なのだ。私の気持ちはどうせ子どもには理解されないのだし、結局人間は孤独を背負って死んでいくのだ」と、一見悟りすましたような論理を自分自身に無理やり押しつけて、精神的な自殺をはかるようになるのです。今、私たちの社会を現実的に取りまいている若者や老人の自殺はまさにそのことの一端を証拠立てている、と考えられないでしょうか。

まさに、この一点において、神という代弁人が存在する意味と、はかり知れないほどの価値が生まれてくるのです。神という名の代弁人は、人間がどのような状況の下に置かれていたとしても、常に厳正中立の立場を守り、適切な助言と判断を与えてくださいます。それがなければ、人間の世界はどうにも収拾がつかなくなり、混乱の極におちいるのは、火を見るよりも明らかなことです。

私たちは「あきらめてはいけない」のです。代弁人を探すことをあきらめ、現実の灰色の状況の中に首までどっぷりつかって、精神的な自殺に走ってはいけないのです。

それこそカフカがいうように、「道を歩きはじめたらどこまでもその道を歩き、扉を開き、階段を上がり、限りなく上がり、家に入ったら部屋から部屋へ・・・さらに階段が続き、その階段は足元から伸びて、伸びて、さらに・・・」という前向きの生き方が私たちには要求されているのです。いったいカフカのいう、「足元から階段が伸びる」とはどういうことなのでしょうか。この場合の階段というのは、エスカレーターを思い起こしていただければ良いのです。

 

つまり、いまでは「ここでなければまたあちら」式に右往左往して探し求めながらも見つけることができなかったものが、私たちが道を定め、歩み続けることによって、ちょうどエスカレーターのようにその目的地へ運んでくれる。カフカはこのことをこそ、『代弁人』の中で私たちに訴えたかったのではないかと、私は考えるのです。実にこれはもう、<信仰の境地>だといっても良いのではないでしょうか。

繰り返して強調したいのですが、例えばどのようにつらい、苦しい状況が人間を取り巻くようになったとしても、私たちは「あきらめてはいけない」のです。右往左往して、ほんとうの代弁人を探す、という目的を見失ってはいけないのです。


私たち自身が、それこそ現実のうめきの中であえいだり、よろめいたりしながらも、一切を神にゆだね、どこまでもどこまでも神がいたまうであろうその道を進むべきなのです。

破壊と創造

1982,9,19

今日、つまり1982年9月19日は、私たちロゴス教会の終わりであり、始まりの時でもあります。
このような日を迎えるにあたって、もう一度私たちの信仰生活の基本的なあり方を考えてみたいと思います。


よく考えてみますと信仰生活はその毎日が、否、時々刻々が一つの終わりであり、始まりなのだということができます。

瀧沢克己氏によれば、カール・バルト教授は、人から「お元気ですか」とか「お変わりありませんか」という挨拶を受けると、いつも「イヒ リーベ エスカトロギッシェ」と答えたそうです。

このことばは、「わたしは終末論的に生きている」という返事なのですが、バルト教授においては生きているかぎりは四六時中、絶えず一つのことが終わり一つのことが始まっていたことを示しています。私たちの信仰生活は、このような認識と自覚に基づいて展開されていきます。

ところが、私たちは普通、時々刻々の現象の変化をちょうど印画紙に焼付けられた写真のようにいったん停止させてみる習慣があります。そして自分の生活の中の一つの終わりと始まりを、遠い近いの差はあるものの、おしなべて過去の出来事としてとらえ、表現しています。「私は何年の何月に救われました。その日、古い私は滅んで、全く新しい私が生まれました」といったようなクリスチャンのことばをよく耳にします。しかし神の恵みや救いの出来事を、人生という時の流れの一点に固定して理解したり、誇らしげに語ったりするのは、必ずしも正しいとはいえません。

神の恵みとそれに基づく救いとは、常に現在の出来事として受けとめるべきものであり、さらにこの点を強調すれば、「きのうやおとといが恵みのときであり、救いの日にあたる」のだということになります。ある人が、「過去形で語られる愛ほど悲しいものはない」といいましたが、神の恵みや救いに対する一般的理解もそれと似たようなところがあります。過去形で語られる信仰ほど悲しいものはありません。

このことについてパウロは、「だれでもキリストにあるならばその人は新しく造られたものである。古いものはすぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」と記しています。「つくられた」「すぎ去った」「新しくなった」これはみな過去形のようにみえますが、実は現在完了形のことばであり出来事の継続を表しているのです。

これはキリストにある生活の中では、絶えず一つのことが始まって、一つのことが終っていくことを示すことばであるということができます。ことばを代えていえば、「信仰生活は静的なものではなく、動的な、それもきわめてダイナミックなものである」ことを示しているのです。

ですからパウロは、「たとえわたしの外なる人は滅びても内なる人は日毎に新しくされてゆくのである」と述べ、私たちの中における神の日毎の破壊と創造を証しするのが信徒のつとめであると説いています。

しかし、この中でただ一つ心に留めておかなければならないことは、実際に私たち自身の中でこの破壊と創造がどういう順序で行われるか、ということです。


人生にも自然界にも時々刻々の変化が見られます。常に何かが終って何かが始まります。それは、終ってから始まるのでしょうか。それとも始まってから終るのでしょうか。または破壊が創造に先行するのでしょうか。それとも創造が破壊に先行するのでしょうか。

毛沢東は文化大革命のとき、「破壊せよ、破壊すれば必ず新しいものが生まれる」と叫びました。たしかに建物をこわさなければ新しい建物は建ちません。現実の社会にはこのように破壊が創造に先行する場合もあります。しかし例えば夏が終って秋がくるのか、秋が始まって夏が終るのか、こういうことになると人間にはよく分かりません。この場合は、ある季節を起点と定め、そこから起算してみなければいったいどちらが先でどちらが後かは分からないのです。

では、信仰生活び終わりと始まり、破壊と創造はどちらが先行するのでしょうか。それはいうまでもなく神の恵みによる新しい創造が先行します。あたかも太陽が昇って闇が退散するように、また新しい生命が卵殻を破るように、私たちの中における神の創造のみ働きが、私たちの外なる姿を破るのです。こうでないと神の恵みそのものが人間の行為によって条件をつけられることになり、恵みは神の真実を表していないことになります。

私はロゴス教会がここ目白での伝道生活に一つの区切りをつけ、八王子に向かって歩みだそうとしている今のこの姿こそ、まさに神の意図された「創造と破壊の摂理の具現化」にあたるものではないかと、ある種の誇りと確信すら抱いているのです。

ですから私たちの八王子移転は、けっして目白での戦いに敗れて都落ちをする惨めな出来事の表れではありません。それどころか、今の私たち一人ひとりの姿は、「神から与えられた新しい伝道のヴィジョンの達成」という壮大なロマンの出発点に立ち並ぶりりしい若武者の姿でもあります。

 

これらのことを充分心に留めて、私たちはこの得難い日に遭遇させてくださった神の深い配慮と恵みを心から喜び、勇んでそのご計画にある新しい伝道の地へと出発したいと思います。

1983,3,27 山本牧師のご自宅での礼拝にて

ころもがえの季節

いままで、このようなことを経験したことはありませんでしたが、つい先日、本格的な春を思わせるような暖かい日が訪れたときのことです。上着を脱ごうとしたところ、左の肩に痛みが走って左手を肩の上まであげることができなくなってしまいました。

そのとき、「寒さがきびしいときは厚着をしていても気疲れをするようなことはないのに、気候が暖かくなると、たった一枚の上着でも肩の負担となる。それに気づかないで厚着を続けていると、その重みが身体の中に蓄積されて身体のどこかの自由を奪うことになり、そうなれば春がきても、そのよろこびが感じられなくなる。春を迎え、春を楽しく生きるための条件の一つは冬の厚着を脱ぎ去ることである」ということに気がつきました。

さて、私たちの教会に新しい春が近づいています。私たちが今やらなければならないことは、永く続いた私たちの教会生活の中で、いつとはなしに身につけた習慣や常識の重ね着を一枚づつ脱ぎ捨てることです。

パウロは、ローマ教会の信徒たちに、「あなたがたが眠りから覚めるべきときが近づいている・・・・・・夜はふけ、日が近づいている」と述べた後で、「だからやみの業(わざ)をすてて、光の武器を着け・・・・・・主イエス・キリストを着けなさい」とすすめました。彼はあたらしい朝、あたらしい春の到来に備えてしなければならないことは、ころもがえであることを教えたのです。

一つの教会における牧師の任期が永くなればなるほど、その教会員に対する牧師のお仕着せは厚着となります。このような場合、「衣を脱ぐ」ということは、教会員が牧師の影響を超えてその上に立つということなのです。そのことは教会員が牧師を愛すれば愛するほど必要になります。

私たちの教会の春の到来を身近に感じながら、いま私が願うことは、私が全幅の信頼をもってその夢を託した役員たちが、多くの教会員と共に私を踏み越えて前進することにあります。

牧師である私がみんなの足手まといにならず、しかもそれでいて、それぞれの前進する後姿を見ることができたら、私ははじめてロゴス教会の牧師であったことに喜びとささやかな誇りを感じられるようになると思います。

私はそういう日が一日も早く訪れることを、心から願っているのです。

1983,4,3 山本牧師のご自宅での礼拝にて

暗幕のうらに朝の光がー

イースターも近い春の午後、私は聖書を開いて復活の記事を読んでいました。エマオ途上の二人の弟子が共に歩き、ともに語りあいながら、その道づれがキリストであることに気づかず、パンを祝福する道づれの動作をみ初めてそれがキリストであることが分かったということや、そのときにはもう、キリストの姿が消えていたことなどを述べた記事を読んでいるうちに、私はいつの間にか、カフカが書いた平凡な街の風景を思い出していました。

「夕陽を背にして歩く男の前を一人の少女が歩いてきた。ふと振り返った少女の顔が夕陽に映えて美しく輝くのを見て、男は一段と歩を早めた。しかし、少女に追いつくと、一気に追い越して行って振り返えることさえしなかった」

自分の陰影で少女の顔の輝きを奪っておきながら、それに気がつかないで失望し、後悔の念を抱いて遠ざかって行く男の姿の中に、私は自分自身の実在の姿を見るような気がして、しばらくの間、寂しい思いにとらわれました。

私たちは毎日の生活の中でいったい何を喜び、何を悲しんでいるのでしょうか。あの棕櫚の日の「ホサナ!」という歓声や、ゴルゴダの丘の、「もし神の子なら、自分を救え、そして十字架から降りてこい」という群集の怒号やののしりを思うとき、人は悲しまなければならないことを喜び、喜ばなければならないことを悲しむ、としか思いようがないのです。

どうしてなのでしょう。たぶん私たち人間は、幻想を見る目だけが開かれていて、真実を見る目がその幻想にさえぎられているからど思います。ですから、いつでも私たちの目には真実が幻想に見え、逆に幻想が真実に映るのです。

しかし考えてみれば、幻想とは肉の目がおとす陰影であり暗幕です。私たちに復活の光が見えないのは、この幻想の目隠しに真実の目がさえぎられているからなのです。私たちの心の暗室に復活の朝の光を呼びこむために、いま、私たちがしなければならないことは、幻想の暗幕をおもいきり開け放つことです。

パウロが「私たちは、今後だれとも肉によって知ることをすまい。かつてキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知りかたをすまい」といっている意味が、私にはこの頃よく分かるような気がします。

1983,5,1 山本牧師のご自宅での礼拝にて

捨てられた石に思う

つい先日のこと、暖かい春の陽ざしの中で、すっかり荒れてしまったわが家の庭を見ていたら、いろいろな思いが私の心をよぎっていきました。

この家が建てられたとき、それまで門柱に使われていた石が倒されて、真っ二つに折られ、その醜い姿は永いこと庭の真ん中にさらされていました。石は目障りであるばかりか、だんだん歩行の妨げにもなってきたので、私は庭の隅のほうへ動かそうとしましたが、重すぎて自分の手には負えませんでした。しかたがないので石のそばに穴を掘り、その中に石を落として地ならしをしました。

それでもなお石が地面に顔を出していて目障りではありましたが、つまずくおそれだけはなくなったので、そのままの状態にしておきました。それから20年近くの歳月が流れました。ひょっとしたらそのせいなのでしょうか。それとも石を囲む小さな自然がその懐に異物を迎え入れたためなのでしょうか。あるいは石とそのものが環境になじむ努力を重ねたためなのかも知れませんが、今ではうっすらと緑の苔が石の表をおおい、さらにしだや熊笹がそれを囲むように密生を始めました。

すると、石はまるで所を得たようにそこに落着き、今はもう全く目障りではなくなりました。そればかりか、私自身の勝手な空想を交えながら見ていますと、石は庭の中央を縦に流れる小川にかかる橋にさえ見えて、石がそこにあるということで庭にある種の一体感を与え、まさに聖書がいうところの、「家造りらの捨てた石が隅のかしら石となった」ということばにぴったりあてはまるような感じになってきたのです。

さて、私の庭の「捨てられた石」は20年足らずで庭に同化しましたが日本のキリスト教会は四百年以上経っても、まだこの国土と国民の心に定着したとはいえないような気がします。いいかえれば日本の教会の現状は、「家造りらが捨てた石がかしら石となった」とはいいきれないような気がするのです。

キリスト教が、日本の国土と日本人の心の中に受肉し、定着し、日本の新しい文化を創造するエネルギーとなるのは、いつの日のことでしょうか。また、その日の到来をたしかめ、早めるために、私たちは何を、どうすれば良いのでしょうか。

1963,2,22 「ろばのみみ 5」から

私は人間

あるところに、人々の前で衣を脱ぎ、自分の裸体を見世物にしてお金をもらって生きている       年若く美しい一人の女がいました。修道院は彼女を哀れに思って近づき、こんこんと神の教えに帰るようにすすめました。あまりにも修道僧が熱心に説き明かすものですから、彼女はその熱意に動かされて修道院に入ることになりました。

しかし、彼女を尼僧の手にゆだねて帰ってくると、その修道僧は急に落ち着きを失い、寂しさとみたされぬ想いに捉われます。聖書を読んでも神に祈っても、埋めることができない魂の空洞があるのです。そして修道僧はやがて自分の魂の空洞が、その女によってうがたれたものであることに気がつくのです。人々の尊敬と信頼を一身に集めている高徳の修道僧が、一人の女に心を奪われ、悩み苦しんでいるのです。彼は神の助けによって女への思いを断ち切ろうと思い、廃墟に残る円柱の上に座り込み、断食と瞑想にはいります。「ただでさえ徳の高いお方が、またまた難行苦行を始められた」というわけで、その徳にあやかりたい、と願う善男善女が大勢円柱の周囲につめかけてきました。

ところで修道僧の方は、その精神的苦痛に耐えきれず、遂には円柱から落ちて気を失ってしまいます。そして尼僧にゆだねてきた女が、死にかけている幻を見るのです。やがて我にかえった修道僧は、まっしぐらに尼僧院に駆けつけ、今まさに死の床に着こうとしているその女をかき抱き、「さわるな!これはおれの女だ!」と叫びます。そして女の耳もとで、「死ぬんじやない!死ぬんじやない!おれはお前に嘘のことを教えた。天国なんて大嘘だ。この世でいちばん大切なのは、愛だ」と、言い聞かせます。

 

しかし女は、彼の胸に抱かれながら、「キリストさまが見えます」といって息を引き取っていくのでした。

信仰心のあついクリスチャンの考えからすれば、最も大切なことは、人間のことではなく、神さまのことだと思います。

 

率直に考えて、「神さまと恋人とでは、どちらをえらびますか」と聞かれたらその人々は、「神さまです」と答えるだろうと思いますし、「キリストのいない天国へいくより、キリストと共に地獄へいきたい」というかも知れません。私はそのようにあつい信仰を抱いている人たちは、「立派だ」と思います。

 

しかし一方私は、「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身が呪われて、キリストから離されてもいとわない」といった人間パウロの信仰に、より心をひかれます。

 

私自身それこそ友人や恋人を離れて一人で天国へ行くより、彼らと一緒に地獄へ行くことの方を選ぶだろうと思います。一般的な概念からすれば、牧師がこのようなことを書いたり、話したりするのは、まことに<背徳的>な行為だときめつけられかも知れません。

 

しかし私は、人間のこうした偽りのない真実の心を神の前に率直に言い表すとき、神はけっしてその心を閉ざしてしまうようなお方ではないのだ、ということを固く信じているのです。

むかし、アシジの聖者フランシスが、弟子のレオを連れてシエナの街へ伝道にでかけたことがあります。終日街頭に立って、「清貧の徳」のすすめをしましたが、誰一人立ち止まって耳を傾けようとはしませんでした。

しかし香具師(やし)が熊を踊せている近くの大道には、大勢の人が集まっていました。それを見たフランシスは、「自分は熊を踊らせる香具師にも劣る」と、寂びしそうにいいました。帰る道すがら、フランシスは井戸から目を離し、レオを振り返って、「レオよ、君は、私がこの井戸の中で何を見たと思うかね」と、聞きました。

するとレオは得意そうに、「それは、井戸の水に映って砕ける月影だと思います」と答えました。しかし、フランシスは、「ちがう」と短く答えただけでした。

実はフランシスがそのとき井戸の中に見たものは、美しい月影や、あたたかい眼差しのキリストではありませんでした。彼は井戸の中の暗闇の一隅に、フランシスに向かってほほえみかけるクララという美しい女性の顔を見たのです。慰めるように、また、力づけるように迫り、語りかけてくるクララー。その面影によって彼は自分自身から失われようとしていたほほえみをとり戻すことができたのです。

私は、「牧師のくせに<背徳者>だ」といわれるかも知れませんが、この話が好きです。ですから人間に忠実で正直な作家、そしてこの物語の著者でもある、アナトール・フランスの姿に心をひかれます。また、アナトール・フランスには『タイース』という作品もあります。

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