
書籍
ロゴス教会の創立者・山本三和人牧師の著書を紹介します
ロゴス教会ではこれまで7冊の書籍を発行しております。いづれも創立者・山本三和人牧師の証言などをまとめたものです。山本三和人牧師は2000年9月9日に天に召されましたが、93歳の生涯は神さまの御言を伝えるために捧げられました。

文学的神奉仕
1988年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

続・文学的神奉仕
1989年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

神への反抗 復刊
1990年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

カフカ夢譚
1993年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

言葉の喪失
1993年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

新しい道
山本三和人証言集 第一巻
2013年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会

共存の道
山本三和人証言集 第二巻
2014年発行
日本基督教団ロゴス教会出版委員会
特別価格 1,000円にて頒布しております。
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書評
朝日新聞
(1989年2月19日付)紹介記事
モームやカフカら作家5人の思想語る『文学的神奉仕』山本三和人著著者は1908年生まれの牧師。権威や形にとらわれない開かれた教会をめざし、反戦・平和活動を続けてきた。本書はロゴス教会の目白から八王子への移転・開堂5周年などを記念しての出版で、日曜ごとに教会で話したことの中から収録。サマセット・モーム、フランツ・カフカら5人の作家の思想をめぐって語りかける。
産経新聞
(1988年12月1日付)紹介記事
信仰者としてのあり方を説く
◇山本三和人著『文学的神奉仕』(日本基督教団ロゴス教会出版委員会・1200円)
モーム、カフカ、シローネという反キリスト教を標榜した文学者たちの思想の中に、かえって本当の信仰がある、あるいはキリスト教徒として反省すべき材料がるとし、信仰者としてのありかたを説く。ロゴス教会の説教の中から収録した。文学の悲劇性から逆説的に聖書の真実を明確化。
高木幹太氏(単立小羊教会牧師)
(「LOGOSNo.01」1989.4)
この著作の表題は一見奇矯なものに見えるが、無神論の徹底としての反神論は、神から規定された人間の在り方に憤懣を覚え、それを破壊するという内実を持つ文学の悲劇性によって、逆にキリスト教を純化し、神奉仕にいたらせるという意味である。そしてそのような立場からジイド、モーム、カフカ、シローネ、サルトルの諸作品を紹介・解釈しつつ聖書の意味を明確化した23篇の説教が集められたのが本書である。 これを読んで筆者がまず感じたことは、筆者の思索がいかに明晰で徹底したものであるかということであった。神反抗の文学が神奉仕に一転することをこれほど鮮やかに、自家薬籠化して叙述できる力量を持つ人がいったい存在しているのであろうか。 筆者もそうであるが、文学作品を紹介・解説しながら聖書を説き明かす者は多いが、著者のように一貫した逆説的方法を用いて、これほど見事に聖書の真意を明確化し得る方を筆者は知らない。特に5、6年前に刊行された『カフカ夢譚』を読んでいる人なら、カフカに対する著者の解釈からされている部分がやはり最も見事であることに気づかされるであろうと思う。 第二に筆者が感銘を受けたのは、文章そのものが省略することも付加することもできぬ自己完結的なものであると共に、忘れ難い英智に満ちた言葉がそこに鏤められているということである。その意味でこの著作はヴァレリーの言う「一人の読者に一度読まれる」密度の濃さを持っている。「百万の読者に一度読まれる」著作が多いこの時代に稀有な書である。ただドストエフスキーが取り上げられていないことが残念に思えた。 第三に感じたことは無神論や汎神論を含み持つ仏教文学など、この著述の方法だけでは取り扱い得ないのではないかということだ。もちろん著者のそれへの深い造詣と思索は承知しているのだが、それにしてもこれは何という見事な説教集だろう。
この文は、高木幹太先生が、『キリスト新聞』(1989年1月28日付)の「読書」欄でご紹介くださったものを転載させていただきました。感謝いたします。
著者のことば
山本三和人
私はそれが何時であったか、もう忘れてしまいましたが、第二次世界大戦が終って間もないころだったと思います。頼まれて岩波書店の書籍のカタログ雑誌に、「書物の中の神」について10ページ足らずの文章を書いたことがあります。丁度その頃、私はサマーセット・モームの『読書案内』という本を読み終わったばかりでしたが、その書物の中に次のような言葉が記してありました。「ある書物があなたにとって大切なのは、その書物があなたにたいして、どのような意味をもつかという、ただその点だけなので、たとえあなたの意見が他の人々の意見と相容れないことがあっても、そんなことは全然問題にならない」と。モームのこの言葉に励まされて、「書物の中の神」について私の考えをまとめました。いま、私が続けている『文学的神奉仕』のついての話は、その話の続きです。即ち作家が作品の中で、自分と神との関係をどのような形で告知して間接的な神奉仕の業に従事しているかについて、貧しい私の考えを聞いていただいているわけです。・・・(抜粋)
